病気になるのに理由や原因なんてない。
わかっています。
わかっていても、考えてしまうのです。
どうしてお母さんが。
あの時気付いていれば。
無理矢理にでも病院に連れていってあげれば。
どうして。
どうして。
もちろん誰も口には出しません。
でも、家族それぞれが考えていたと思います。
大丈夫!絶対治るから!
みんなそう言いながら、状況は絶望的だと分かっていました。
乳癌が発覚すると、母はその日のうちに入院となりました。
私は大学の単位も取り終わり、あとは卒業を待つだけだったので、仕事のある父と交替で母の付き添いをする日々が続きました。
母は私と姉には弱音や後悔を口にすることはありませんでしたが、ある日1度だけ呟いたのです。
「ばあちゃんにあんなことしたから、バチがあたったんかな。」
母の言う「あんなこと」って、
ばあちゃんと食事を別にした
その事です。
そんな事です。
母は、ずっとずっとそんな事を後悔していたのです。
あの一言は、私は一生忘れません。
もしも同居じゃなかったら。
自分が死ぬかも知れない病気になったとき、「姑と一緒に食事をしなかったせいかもしれない」なんて思わない。
父に祖母を押し付けて出て行った父の兄弟とその配偶者の、誰もそんな後悔をしない。
毎日毎日祖母の3食を用意して掃除も洗濯も全てして、入院したら下の世話までして、自分が倒れるまで介護したのに。
残ったのが、そんな後悔だったなんて。
これが別居の姑だったなら、母自身も自分を認めてあげられたと思うんです。
素直に、よくやってあげられたなって思えたと思うのです。
でも同居だったから、「家族」の中の姑を「好きでいられなかった」自分を責めなければならなかった。
祖母が亡くなって10年経っても。
そして乳癌発覚から3年後、母は亡くなりました。
母のお葬式で泣く父の兄弟たちをみて、なんで私はこっち側なんだろうと思いました。
私もあっち側で、「優しいおばさんだったのに」「まだ若すぎる」「いい人ほど早く逝ってしまう」と泣きたかった。
そして、「人はいつ亡くなるかわからないから、自分のお母さんを大切にしよう」って言いたかった。