同居、断固反対の理由。その6 | まだデカパン履いてます。~男2人育てながら日々思うこと~

まだデカパン履いてます。~男2人育てながら日々思うこと~

2014年11月に長男出産。
2016年12月に二男出産。
育児も暇になってきたので、
日記代わりに日々思うことを綴ります。

病気は人を選ばない。



病気になるのに理由や原因なんてない。




わかっています。



わかっていても、考えてしまうのです。



どうしてお母さんが。



あの時気付いていれば。



無理矢理にでも病院に連れていってあげれば。



どうして。



どうして。



もちろん誰も口には出しません。



でも、家族それぞれが考えていたと思います。



大丈夫!絶対治るから!



みんなそう言いながら、状況は絶望的だと分かっていました。



乳癌が発覚すると、母はその日のうちに入院となりました。



私は大学の単位も取り終わり、あとは卒業を待つだけだったので、仕事のある父と交替で母の付き添いをする日々が続きました。



母は私と姉には弱音や後悔を口にすることはありませんでしたが、ある日1度だけ呟いたのです。




「ばあちゃんにあんなことしたから、バチがあたったんかな。」




母の言う「あんなこと」って、



ばあちゃんと食事を別にした



その事です。



そんな事です。




母は、ずっとずっとそんな事を後悔していたのです。




あの一言は、私は一生忘れません。





もしも同居じゃなかったら。




自分が死ぬかも知れない病気になったとき、「姑と一緒に食事をしなかったせいかもしれない」なんて思わない。




父に祖母を押し付けて出て行った父の兄弟とその配偶者の、誰もそんな後悔をしない。





毎日毎日祖母の3食を用意して掃除も洗濯も全てして、入院したら下の世話までして、自分が倒れるまで介護したのに。





残ったのが、そんな後悔だったなんて。





これが別居の姑だったなら、母自身も自分を認めてあげられたと思うんです。




素直に、よくやってあげられたなって思えたと思うのです。




でも同居だったから、「家族」の中の姑を「好きでいられなかった」自分を責めなければならなかった。




祖母が亡くなって10年経っても。






そして乳癌発覚から3年後、母は亡くなりました。






母のお葬式で泣く父の兄弟たちをみて、なんで私はこっち側なんだろうと思いました。




私もあっち側で、「優しいおばさんだったのに」「まだ若すぎる」「いい人ほど早く逝ってしまう」と泣きたかった。



そして、「人はいつ亡くなるかわからないから、自分のお母さんを大切にしよう」って言いたかった。