たぶん、誰のモノも臭う。健康な人のモノは臭わないというが、それだって全くの無臭ではない。大好きなあの人のモノにも、可愛い子供のモノにも、間違いなく臭いはある。何故こんな話をするのか? それは清掃員として、使用直後のトイレと対峙しなければならない場面があるからだ。

 

 

 朝ごはんにサラミを一本食べて出勤したある日のことである。婆さんと駅事務室の廊下を清掃していると、トイレから男性駅務員が出てきた。

「すみません、これからトイレ清掃ですよね」

「そうよ! どうしたのかしら?」

「いや、大きい方をしたばかりで…」

「大丈夫よ! その臭いにはマッチよ!」

「マッ、マッチですか?? と゜うしてマッチで臭いが消えるんですか?」

駅務員が不思議そうな顔をして婆さんの顔を覗き込んでいた。

「知らないわよ!」

婆さん、即答である。俺は婆さんに代わって駅務員に説明をした。

「臭いの原因の一つである硫化水素をですね、マッチの頭薬(とうやく)に含まれている二酸化硫黄が分解するからです」

「何だか難しいですね。マッチの匂いでごまかすのかと思いました」

「化学反応ですよ」

「なるほどですね。…で、会長さんはマッチを持っているんですか?」

「あるわよ!」

 

※火災報知器が設置されているトイレでは絶対にやらないで下さい。

 

「会長さんは煙草を吸われるんですか?」

「吸わないわよ」

「では、どうしてマッチを?」

「拾ったのよ! ほらっ、マッチ売りの少女みたいでしょ? ガハハハハ」

駅務員が口をあんぐりとさせて固まっていた。そして、そこへもう一人の婆さんが歩いてきた。

「楽しい話でもしてるのかい?」

「あら、サブさんも知っているわよね? マッチよ、マッチ!」

「マッチ?? ワシもマッチ好きだよ。どれ、一曲唄うかい!」

 

 

「サブさん、そのマッチじゃありません!」

気が付くと駅務員の姿は消えていた。付き合い切れなかったのか、それとも仕事に戻ったのか…、婆さんが擦ったマッチは彼の胸にどんな光を灯したのだろう。どんな色でもいい、俺も誰かの心に光を灯せる人間でありたい。いや、そんなカッコイイことは言わない。俺は残り香でいい。出会った人たちに温かさという残り香を感じてもらえる、そんな人間でありたい。

 

会長様がご愛用のあの品をプレゼントする第6話へ続く

 

 

 

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