毎週末にアップさせて頂いている息子の大事故のブログの続きです
いつも沢山の方々に読んで頂いており、本当に感謝しています
私は元夫と息子の2人が、生死を彷徨う大事故に遭いました
1度ならず、2度も
私にとってはこの2回の大事故は、非常に辛く悲しい出来事で、それにより家族皆んなの人生も変わってしまった事、そして何よりあの地獄のような辛い辛い日々を思い出してしまうことから、
長いあいだ人には言えない苦しい出来事でしたが、
最近になってあるきっかけからブログに書きはじめた事で、お世話になった方々への思い、普通に過ごせる日々への感謝などを改めて感じています
私などの経験で恐縮ではありますが、読んで下さる方々が、何かを考えるキッカケになって頂けたら嬉しく思います
さて、前置きが長くなりました…
過去のブログは下記から…
① こちら
② こちら
③ こちら
④ こちら
④ の続き… こちら
(何故、息子の大事故の事をブログに書いたか)
⑤ こちら
⑤ の続き… こちら
⑥ こちら
⑦ こちら
⑧ こちら
⑨ こちら
⑩ こちら
⑪ こちら
⑫ こちら
⑬ こちら
⑭ こちら
⑮ こちら
⑯ こちら
⑰ こちら
⑱ こちら
⑲ こちら
⑲の続きからです
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ある時、病院にとても懐かしい人達がお見舞いに来てくれました
息子がハイスクール時代、仲良くしていた友人達です
彼等は別の州の大学に通っていたため、感謝祭休暇で自宅に戻ってきたタイミングでお見舞いに来てくれました
写真一番右が、息子が事故に遭った時に一緒にいたネイトです
彼が心肺蘇生をしてくれなかったら、息子は間違いなく死んでいたでしょう
彼が携帯電波が届かない山奥で、奇跡的に通りかかった老夫婦の車の前に立ちはだかって車を止めて、携帯が通じるところまで乗せて行って欲しいと行動を起こしてくれなかったら、
息子は助かっていなかったと思います
脳挫傷で高次機能障害になった息子は
笑うことが出来なくなりました
実際は笑っているのですが、身体の左側に麻痺が出ている影響で表情を作れないのです
左脚にはしびれ、左手も上手く使えません
私は事故に遭う前、息子が真っ白い歯を出して笑う笑顔が大好きでした
でも、事故以来その笑顔を見る事が出来なくなりました
息さえしていれば植物状態でもいい、歩けなくても話せなくても、生きてさえいればいい
と思っていた事故直後
それなのにリハビリが始まって少しずつ何かが出来るようになると、大好きだった息子の笑顔がみたい
と思ってしまうんですよね
後に、息子に笑顔が戻る迄には事故から3年以上の月日を要しました
その間は麻痺がない右側だけは少しずつ表情を出せるようになっていきましたが、普通に自然な笑顔で笑えるようになったのは、事故から7年も経ってからです
長く長く続く入院生活、単調なリハビリの繰り返しでしたが、ステフィーとの対面やお見舞いに来てくれる友人との語らいは、息子だけでなく、私達家族にとっても嬉しいひと時でした
起きてしまった事故は、息子や私達家族の人生を大きく変えるものとなりましたが、
お見舞いにきてくれる友人たち、留守宅を守っていてくれたご近所の人たち、私たち家族の夕食を作ってくれていたお友達など、本当に沢山の方々に助けられ、支えて頂いた日々でした
to be continue …
Have a wonderful weekend